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コラム 気づきと揺らぎと葛藤と

掲載日:2022年10月3日/更新日:2025年2月10日

『にじのかけはし』第13回より

私が初めて女性を好きになることもあると気づいたのは、高校生の時だった。怖くなり、その感情はなかったことにした。

大学生になり、また好きな女性ができた。

この時の感情は無視するには大きすぎて、未来が見えず不安に押しつぶされそうで、お酒を飲んでは記憶をなくし、二日酔いで目覚めるような日々を送っていた。

当時、私には付き合っている男性がいた。彼はとてもあったかい人で、彼となら結婚して、「普通」の家族をつくれるかもしれない。生まれて初めてそう感じた相手だった。

でも、真剣に彼との未来を考えるほど、私のなかにある払拭できないモヤが浮かび上がってきた。ある日、彼に泣きながら話をした。

「私はたぶん女の人を好きになる人間だと思う。女の人と付き合ってみないまま、あなたと結婚したら、いつか後悔してしまうかもしれない。だから別れよう」。彼は「試してみればいい、結果が出るまで
待つ」と言ってくれた。そんなことをできるはずはなく、別れた。

その後、初めて女性と付き合って、私は自分のセクシュアリティーを確信した。それでも、がんばって異性愛者として「普通」に結婚しなければと思ったことが何度かあった。

大学生の時に、インターネットを介して繋がったセクシュアルマイノリティーの友人たちがいなかったら、私は同性と付き合うという一歩を踏み出さないまま、男性と結婚していたかもしれない。そうであったなら、私は結婚生活を続けられていただろうか。同性愛が違法とされる国で生まれていたら、どうだっただろう。

逆のことも思う。「同性を好きになっても何も問題ないし、そういう人はあなたの他にもたくさんいるんだよ」。もし幼少期からそんなメッセージが感じられていたら、どうだっただろうか。

今でこそ、私はバイセクシュアルだと名乗っているが、生まれた時からそういうアイデンティティーを持っていたのではない。ここに至るまで、いろんな葛藤があったし、人を傷つけたこともあった。そうとしか歩めなかった自分がいた。

どんな人にも、語れないことや、見えないバックグラウンドがあり得ることを、忘れないでいたいと思う。


参考:同性間の婚姻が認められないのは憲法違反であるとして、2019年2月14日に一斉提訴(札幌、東京、名古屋、大阪、その後9月に福岡でも)された訴訟の判決が次々と出されています。

2022年11月30日には札幌・大阪に次いで東京地裁で判決が出され「同性愛者がパートナーと家族となるための法制度が存在しないことは、同性愛者の人格的存在に対する重大な脅威、障害であり、個人の尊厳に照らして合理的な理由があるとはいえず、憲法24条2項に違反する状態にある」と判断されました。